ラガーディア着陸のときに見えるマンハッタンの姿(2002年)。 WTCのツインタワーがなくなり景色が一変した。 |
9.11の数カ月後にANA機から展望したロワーマンハッタン WTCのツインタワーがなくなっている! |
2021年9月11日 Reuterより |
9.11同時多発テロの悲劇から今日で20年。あの衝撃的なニューヨーク、ワールドトレードセンタビル:WTCへの旅客機突入とその後の壮絶な倒壊は一生忘れることはできない。あの時私は東京にいてテレビでその瞬間を観た。最初は何を放映しているのか理解できなかった。飛行機が事故でビルに衝突したらしい、とかワシントンのペンタゴンやペンシルバニアでも飛行機が墜落したらしいとか、状況の把握ができていない様子の報道が続いた。しかし、徐々にこれは同時多発テロ攻撃だということが明らかになってきた。それにしても目の前で旅客機がWTCに激突する瞬間が放映されている。やがてその二棟のタワーが跡形もなく粉塵とともに倒壊してゆく。こんな悲劇を自宅のテレビでライブで見るなんて恐ろしい時代になったものだと戦慄した。ビルで働いていた人々、飛行機に搭乗していた人々、救援に駆けつけた消防、救急隊、警察の人々。2977人が犠牲となり、行方不明者が未だに多数いる模様だ。犠牲者の中には日本人の駐在員や学生も24名含まれていた。取引先であったM銀行のNY支店もこのビルに入居しており多くの犠牲者が出た。改めてご冥福をお祈りしたい。
私は2001年のこの時期、会社の海外事業の立ち上げで東奔西走していた。実はこの数日後にニューヨークへ出張予定であったが、日本からのNY便がすべてキャンセルとなり、この未曾有の事件で一時米国内の飛行が全面禁止されるなど大混乱となった。したがって出張は急遽延期。それでもクローズ直前の重要案件であったので、米国の航空規制が解除されるとともにニューヨークへ向かった。搭乗したANA機JFK便は、ほとんど乗客なし。CAのほうが多い貸切状態であった。ANA機はマンハッタン上空に近づき着陸態勢に。冬空の下、ロワーマンハッタンが眼下に見渡すことができた。上空から見るニューヨークマンハッタン島は、一見いつもと変わらぬ風景であったが、一つ大きな景観の変化があった。WTCのツインタワーが見当たらないのだ。やはりそうなのだと、その異様さにショックを覚えた。
JFKに到着すると、入国管理は意外に厳しくなく、到着客も少ないのでむしろスムースに入国できた。すぐに空港からカウンターパートのダウンタウンのオフィス、WTCすぐ隣のワールドファイナンシャルセンターに向かう予定であったが、電話で確認するとそこも被災していたので、急遽ミッドタウンの仮オフィスに向かった。ハドソン河畔の倉庫街のようなところに彼らは仮住まいしていた。彼らは、こういうタイミングで日本から駆けつけてくれたことにえらく感激して、涙ぐみながら固い握手をしてくれたことが印象的であった。日頃、強がりの権化でタフネゴシエーターを自認するのような大男が、弱音とも優しさともつかぬ感情を、思わず表してしまったようだ。こちらもクロージングを急ぐ当方側の事情で来ただけなのだが。ただ交渉そのものは相変わらずタフであった。ビジネスは、文字通りビジネスライクで止まらないのである。その日は空いているホテル(確か北野ホテルだった)に一泊して翌日のフライトで東京へ帰った。あの頃は元気いっぱいであった。
あれから今日でちょうど20年。これがきっかけとなったアメリカの「テロとの戦い」は、アルカイダやタリバンというテロリストの巣窟とされたアフガニスタンへの出兵、タリバン政権の打倒。大量破壊兵器を隠し持つと言われたイラクへの戦争とサダム・フセイン殺害。9.11同時多発テロの首謀者とされるオサマ・ビンラディンの殺害。次々と軍事力にものを言わせて他国に介入していった。こうした戦いは今年の8月31日の混乱のアフガニスタン首都カブールからの米軍の撤退で終わった。米軍撤退決定からあっという間にアフガニスタン政府と政府軍は瓦解し、大統領や政府高官は大金とともに国外脱出。壊滅させたはずのタリバンが速やかにカブールに侵攻し、20年ぶりに首都奪還、政権を取り戻した。あの9.11から始まった「テロとの戦い」この20年は何だったのか。アメリカや海外からの援助は政府高官や政商が懐に入れ、国民には行き渡らず、治安も国民の生活も守れないそんな腐敗した政府を米軍が守る。さすればそんな政府は国民の信頼を得ることができず、タリバンしか我々を守ってくれないと信じるようになる。テロはなくなるどころかこうして生き残り、世界に拡散し、イスラム国:ISISのようなウルトラ過激テロ集団まで跳梁跋扈する始末だ。今回もタリバン制圧下のカブールに突如現れ、国外脱出で混乱するカブール空港周辺に自爆テロを敢行して多くの人を殺害し、恐怖に陥れたテロ集団こそタリバンと敵対するISISだ。在留外国人とその家族、アフガニスタン人スタッフとその家族は、タリバンの首都制圧でパニック状態となり、次々空港に殺到。国外脱出を試みる群衆でカオス状態となった。離陸する米軍輸送機に群がる群衆の必死の形相はショックだ。デジャヴだ。ベトナム戦争のときのサイゴン陥落。米大使館屋上からのヘリでの脱出、タンソニェット空港の飛行機にしがみつく群衆。あのときの悲劇の再来だ。あれは「共産主義との戦い」であった。ソ連は崩壊したが、どっこい中国共産党と朝鮮労働党は生きている。より大きな脅威となって存在感を増している。
米国はじめ、イギリス、ドイツ、フランス、カナダ、オーストラリア、韓国は自国民の救出とアフガニスタン人スタッフ救出のため、軍用機やチャーター機を派遣して、次々と国外へ脱出させた。米国は軍も大使館も31日の撤退期限の最後までカブールにとどまり約2万人の民間人、アフガニスタン人スタッフとその家族を救出した。イギリスも英国大使が現地に留まって、最後まで救出作戦の陣頭指揮をとった。アフガニスタン人とその家族には英国入国ビザを発給し続け、6000人を英国に送り込む姿が世界に報道されて印象的であった。それでも全員の救出はできず非難されている。一方でこうした米英はともかく、我が日本はいかに。大使は不在。大使館員15名は全員が8月中旬には早々と英国の救援機で国外に脱出し、カブールの日本大使館を閉鎖(外務省の公報でも発表)。在留邦人の救援機は、ほとんどの各国救援機が飛来したあと、最後の最後に派遣されてきたが、遅れてきた自衛隊機はカブール空港での自爆テロで着陸できず、隣国パキスタンで待機。救援を待っていた在留邦人、大使館、JICAなどのアフガニスタン人スタッフその家族500人ほどは結局、救出されることなく、自衛隊機はわずか日本人1人を含む崩壊したアフガニスタン政府関係者10数名人を載せて飛び立ってしまった。日の丸を背負った自衛隊機が救出に失敗して飛び立ってゆく姿を、取り残された在留邦人やアフガニスタン同胞はどんな気持ちで見ていたのか。在留邦人や同胞を救出し、一番最後に現地を離れるべき在外公館職員がいないのだから、自衛隊機との救出連携も取りようがない。また大使館の輸送支援がなければ、テロで混乱し、公共輸送機関などあてにもできない在留邦人が空港に行くことすらままならぬ状況であることはわかっていたはずだ。政府の自衛隊機派遣も、意思決定が遅すぎる。結局、ほぼなんの成果もなくカラで引き上げてくるなど失態と言わざるを得まい。救援は失敗した。アフガニスタンの友人を失い、そして国際的な非難を浴びる結果となったしまった。ちなみに中村哲医師の遺志を継ぐペシャワール会の医療メンバーは現地に残り、引き続き診療に携わっている。頭が下がる思いだ。
日本という国は危機管理が弱い、「平和ボケ」だなんて言っている場合ではない。9.11は決して対岸の火事ではない。アフガニスタンのタリバン復活も、ミャンマー国軍クーデタ、民主勢力の弾圧も、香港の民主主義抹殺も決して対岸の火事ではない。もちろん台湾の民主主義を守る民衆の戦いも。このアメリカ軍のアフガニスタン撤退劇を観て、これからもアメリカが同盟国とその国の人を守ってくれるという幻想を持つことはできない状況が見えてきた。「自由と民主主義」「法の支配」「自由競争市場経済」といいう「普遍的価値観を共有する」はずの同盟者アメリカは、大統領がトランプからバイデンに代わっても「自国優先主義:America First」をはっきり打ち出している。自力救済しない、できない国は同盟国でも助けない。アフガニスタン政府の他力本願に嫌気が差したので、手を引いたらあっという間に崩壊した。これはアメリカにとっては極めて重要な教訓だ。かつてアフガニスタンに手を突っ込んだ大国は、みな統治に失敗して撤退し、そしてその後は自国が衰退している。イギリスも、ロシア(旧ソ連)も、そしてアメリカも...自分で自分のこともできない人のことにかまっている場合ではないという空気が流れ始めている。軍事力では人の心は制圧できないことも。そして「普遍的価値」が通用しない世界があることも。日本はコロナパンデミックのバタバタで露呈した、有事、非常時の意思決定プロセス、体制、心構え、指導力の欠陥をキッチリ総括して修復しておく必要がある。コロナ対策に限らない。これからは東アジアにこうした有事がありうることを肝に銘ずる必要がある。有事における在留邦人の保護と救出。自国権益の保全。それができないでどうする。あの満州国崩壊に伴う難民と化した日本人開拓団の悲劇以来何も変わっていないではないか。いざというと米軍頼みでは、崩壊したアフガニスタン政府と同類になってしまう。それは決して憲法を改正して軍事力を強化することで解決する問題ではない。政治における国民の命と財産と生活を守る目線の回復だ。その憲法で「健康で文化的な最低限の生活」が保証されている(生存権)はずである。国民がいざというときに「公助」に期待できず、「自助」「共助」しかあてにできなくなったら政府はいらないということになる。国民にお願いしかしない政治、いざとなっても国民を助けてくれない国。肺炎になって高熱が出ても医者に見てもらえず自宅待機という名の「放置」がまかり通る医療先進国。テロや有事に在留邦人や味方の友人を助ける前に早々と脱出する平和国家の在外公館。それで良いのか。日本は有事対応や外交が不得手だ、なんて反省ばかりしてないで「平和ボケ」から目を覚ますときだ。折しも自民党総裁選が始まる。もっぱら自民党内の派閥争いや長老政治という、世の中に全く通用しないロジックで選挙が動いている。しかしこの国難は、そんな過去の論理を壊して大胆な改革に向かうキッカケにならなければならない。目を覚ませ自民党、怒れ主権者!