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2026年5月3日日曜日

古書を巡る旅(78)An Inquiry into The Nature and Causes of The Wealth of Nations:アダム・スミス『国富論』刊行200年記念復刻版 〜「神の見えざる手」は本当は何を動かしているのか?〜

 



表紙

左に『道徳感情論』の著者と紹介がある

付属の解説書



本書はアダム・スミスの『国富論』(『諸国民の富』)An Inquiry into The Nature and Causes of The Wealth of Nations(1776年初版刊行)の、200年記念復刻版(ファクシミリ版)として1976年に刊行されたものである。今からちょうど50年前である。初版本を忠実に再現した総革装、マーブルボード、スリップケース付き全2巻の、歴史的な著作の復刻に相応しい重厚で美しい装丁の書籍である。歴史的な古書、稀覯書の復刻であり、経済学の古典書、歴史的な書籍としての価値はもとより、美麗本。古書コレクションとしても魅力的である。日本の出版社(雄松堂書店)が世界各国で各々復刻プロジェクトが進行しつつあった中、重複出版を避けるべく調整し、製紙、印刷、製本(背表紙はフランスの装丁)し、1,000部限定刊行した。981部は市販され、本書は14番目。付属の解説書には、英米日3カ国の専門家により、この復刻の経緯と書誌的解説が詳細に紹介されており貴重である。ただ『国富論』はもちろん重要な著作であることは論を待たないのだが、この復刻版発刊から50年という時間の経過の中で我々が見せられた世界の変貌ぶり、衝撃的な事象を顧みると、この際、我々はスミスのもう一つの大作『道徳感情論』の復刻を願わざるを得ない。


1)書誌的考察(付属の解説書による)

1776年の初版から1789年の第5版まで。William Strahan(スミスのスコットランド人の友人)が出版を手掛けた。スミスのもう一つの主著「道徳感情論」1759年の初版から6版も手掛けた人物である。スミス生前の改訂は5版に及ぶ。すなわち、1776年初版(500部)、1778年第2版(500部)、1784年第3版(1000部)、1786年第4版(1250部)、1789年第5版(1500部)である。初版は500部刊行された。あまりにも好評で、派生版(いわゆる「ダブリン版」)も刊行された。

初版は高評価で、書評には「起業家や財政家が苦労する仕事を、哲学者やることの困難さはいかばかりか、このように理論と学説を科学的に体系づけた論者はいない」と絶賛している。エドモンド・バークと思われる人物による評論は「フランスの経済学者が色々理論を述べ立てるが、それを体系的に著した著作を見たことがない。総合的に俯瞰する哲学者だからできることだ」と称賛。「ただ新奇な説はそれが証明されるまでに時間を要すだろう」と評しており、これは現代におけるスミスの評価にもつながっている。

初版が発表されてから数年以内に各国語に翻訳(ドイツ語訳が最初)され一斉を風靡したが、1780後半−90年初頭に入るとパタリと途絶える。その後考えられているより書誌的には普及に時間がかかったようだ。彼の学説に反対する重商主義者や官房学派の抵抗の影響も考えられるが、正確な理由は依然不明という。しかし90年代後半に入ると再び関心が高まっていった。世の中は政治的にはアメリカ独立、フランス革命を経て、やがて産業革命という大きな時代の転換点である。

日本での受容は、シーボルト二度目の来日時1858年のドイツ語版が確認されているのが最初と言われているが、日本で読まれた形跡がない。幕府開成所「葵文庫」で1863年エジンバラ版が記録され、福沢諭吉『西洋事情外編』1867年で『国富論』が取り上げられているが、スミスの名は引用されていない。明治維新以降、急速に西洋思想が流入してくる。経済思想も同様。しかしスミスが明確に認識されるのはもう少し先だ。とはいえ、東洋では日本語訳がイギリスとの関係は深かった中国語訳よりも早い。韓国では九州帝大に学んだ人物が1910年に翻訳を手がけた。本格的な邦訳は、1882年(明治15年)、田口卯吉主宰の「東京経済学講習会」が著名外国経済書翻訳刊行を手掛け、その一つに「国富論」を取り上げた。明治15年1882から明治21年に完成を見た、石川暎作・嵯峨正作訳 しかし底本となった版がどれなのかは明らかではない。その後の全訳は5種類ある。竹内謙二(1921−23)、青野季吉(1928−29)、大内兵衛(1940−44)、水田洋(1965)、大河内一夫他(1976)。どれもスミス生前の最後の版、第5版(水田訳は初版)が底本となっている。このほかにもスミスの解説、研究書、引用は数多あり、日本におけるスミス研究の幅広さと深さを示している。

また、CiNiiで検索すると、稀覯書とされる初版本の日本の大学における所蔵数は、一橋大学(6冊)慶應大学(3冊)名古屋大学(2冊)をはじめ、東大、千葉大、京大、阪大、九大がそれぞれ1冊ずつ所蔵しており、OPAC検索ではそのほかの大学、研究機関、個人も含めると日本には合計49冊あるという。これは初版発行部数500部の10%に相当する。スミスの母国であるイギリス、スコットランドの、大英博物館(1冊)オックスフォード大学(2冊)グラスゴー大学(3冊)と比較しても、日本は世界でも有数のスミス研究が盛んな国といえよう。ちなみにアメリカのニューヨーク・パブリック・ライブラリーには5冊収蔵されている。


2)もう一つの主著『道徳感情論』への言及

この『国富論』記念復刻版の解説には『道徳感情論』への言及がほとんどない。これはもちろん、当時スミスの主著とみなされていた『国富論』の復刻版企画であることから理解しなくもないが、1976年当時のスミス研究、評価の立ち位置を示すものと考えられる。『道徳感情論』は「忘れられた名著」と言われ、21世紀に入るまで『国富論』の傍に追いやられていた。しかし現在では『道徳感情論』こそがスミスの主著であり、そこから生まれたのが『国富論』であるというのが通説となっている。スミス自身も序文やヒューム宛の手紙の中でそう語っている(「最近暇に任せて「道徳感情論」の続きを書き始めている」と)。(以前のブログ参照:2023年1月5日古書をめぐる旅(29)アダム・スミス全集)。本書は1976年以降、特に21世紀に入ってからのスミス研究の新しい成果が反映される以前の刊行である。これまで「予定調和」「レッセフェール」「神の見えざる手」が資本主義的合理性の原理とする経済哲学が先行しすぎていて、「社会的存在」「他人への共感」「公平な観察者」としての倫理的、道徳的人間の存在が前提の「神の見えざる手」というスミスの哲学が看過されてきた。21世紀前半の現代において、理念と秩序が欠落した資本主義の矛盾、そこから始まる経済合理性優先の西洋文明の解体の兆しという事態を目の当たりにして、スミスの経済理論は間違っていたのではないかという言説まで飛び出す始末であった。ここにきてようやくスミス=「国富論」という捉え方を見直し、忘れられたスミス=「道徳感情論」を再評価する動きが出てきた。そもそもスミスは倫理学、道徳哲学者であり経済学者ではなかった。経済学は道徳哲学から生まれた科学なのである。そういう意味においてスミスは「近代経済学の父」と呼ばれているのだが、今は経済学の観点からだけではなく、哲学、倫理学の視点からもスミスが見直されている。


3)アメリカ独立宣言(1776年9月)と同年の刊行(1776年3月)

『国富論』刊行のタイミングは、ちょうどアメリカ植民地における独立運動が盛んになり、その対策がイギリス本国にとって大きな政治時問題になっていた時期である。これに対するスミスの見解をまとめるために刊行が遅れていたが、しかし親友デービッド・ヒュームの督促もあってアメリカ独立宣言の直前に刊行することとなった。実際に。独立宣言の6ヶ月前に初版を刊行している。スミスは『国富論』最終章で、アメリカ植民地経営のあり方論を展開している。興味深いので紹介しておきたい。

第一案:統合案 「代表なくして課税なし」を認めて、アメリカ植民地住民のイギリス議会への代表権を認める。しかし、アメリカの方が経済成長速度が早く、人口も増え、納税額が本国を凌駕するだろう。そうなると、やがてはアメリカ植民地代表の議席がイギリス本国を上回り、首都をアメリカに移さざるを得ない事態になるだろう。

第二案:分離案 植民地の独立を認め、イギリスの同盟国としてアライアンスを組む。貿易額が増加し本国の貿易収支にも好影響があるだろう、植民地の防衛のための軍事力維持などの費用負担を減らすことができる。身の丈にあった帝国版図の経営をすべし。

ピットやバークなどはこの第二案(分離案)に賛成したが、大方の国民やイギリスの議会は猛反発した。しかしアメリカ植民地住民は独立戦争に突入し勝利したため、イギリスはパリ条約で否応なしにアメリカの独立を承認せざるを得なくなった。スミスの「分離案」が結果的に取り入れられた。大英帝国の第一次崩壊である。そしてアメリカはイギリスの同盟国になった。しかし第一案で予測した通り、経済成長、人口増でアメリカの国力がイギリスを上回り、「世界の首都」がロンドンからニューヨーク、ワシントンに移った。やがて20世紀になるとアメリカがイギリス本国に代わって世界を支配する帝国主義の時代が始まった。


4)「神の見えざる手」の真実

そして21世紀の今、そのアメリカの崩壊、解体が始まった。歴史はものすごいスピードで動いている。自分が生きている間にそれを目撃するとは。これは、とどのつまりアメリカ、イギリスを含む西洋文明の崩壊である。スミスが唱えた労働価値説に基づく経済が西洋諸国で崩壊していったからだ。生産活動に携わる労働者、市民が富創造の源泉、経済価値の創造者であり、民主主義、自由貿易体制を支えていたが、西洋諸国、アメリカではグローバル化で生産活動が海外に移転し国内ではそれが消滅してしまった。残ったのは大きな雇用を産まない(労働価値再生産の働かない)金融やAIなどの知識集約型のサービス活動、あるいは市場マニュピレーションで、一部の持てるものと大多数の持たざる者の格差が増大してゆく。理念と秩序と道徳が欠落した現代資本主義。とてつもない格差社会と社会の分断。そして目を覆うばかりの政治・経済リーダーの知性と道徳の崩壊。スミスの「国富論」が描いた未来にこのような皮肉な現実が待っていたとは。「神の見えざる手」はこのような社会を産み出したのか。「国富論」にはあらゆる経済史、経済政策、経済理論、経済思想が網羅されているが、その彼の分析と評価と理論の前提となっている「人間の道徳」「社会の道徳」の問題は書かれてない。それは『国富論』ではなく、その前に著された大作『道徳感情論』に提示されている。今こそスミスの主著『道徳感情論』に立ち返る時であろう。その上で『国富論』を読み直す必要がある。


参考:

アダム・スミス『道徳感情論』高哲夫訳 講談社学術文庫

『アダム・スミス 道徳感情論と国富論の世界』 堂目卓生著 中央公論新書

ちなみにガルブレイズは、読まれないのに頻繁に引用される古典名著として、『聖書』『資本論』と『国富論』を挙げている。


末尾になって恐縮ではあるが、今回も神保町の北澤書店に大変お世話になったので感謝申し上げたい。