熟達の画家、時代の寵児であったFujitaも、写真に関しては一介のアマチュア写真家でしかなかった。彼は生涯で少なくとも9台のカメラ(大判カメラのほかライカとニコンユーザであった)を所有したようで、写真を始めた1913年以降、撮影歴は50年に及び、現在でも数千点の写真が確認されている。にもかかわらず彼の写真が一般に公開されたり、少なくとも作品として大衆の目に触れることはなかった。特に戦前にあってはFujitaの名が写真家として世間に記憶されることはなかった。しかし、戦後、木村伊兵衛は、Fujitaの撮影したリバーサルフィルムによるカラー写真の中に写真家も驚愕するような作品が数多く残されていることを発見した。作品に仕上げるポストプロダクションの技法は写真家のそれに及ばないものの、いわば撮って出しのその構図、特に色使いなど卓越した表現に溢れた作風を高く評価した。特に、当時はモノクロによる写真表現が主流であったところへカラーフィルムが登場し、写真家の多くがその濃淡のほかに色彩という要素をどう使いこなすか苦慮していた。そこに色使いの名人の「作品」登場である。衝撃であったようだ。木村伊兵衛はFujitaがカラーリバーサルフィルムでの撮影に不可欠な厳密な露出を最新の精密露出計を活用して実現していることを指摘している。特にモノクロ時代に写真家が頼りがちであった「カン」の不確かさを見せつけられたと言っている。その作品の一部が日本で「アサヒカメラ」などの写真誌に紹介され世の中に知られるようになった。
写真が発明された頃から画家が写真を絵画創作の補助的なツールとして使っていたことは知られているが、藤田のそれは単なる補助や画題収集としてだけではなく、画家としての眼差しで写真についても自己の芸術的表現手段として活用していた形跡がみられる。フランスで交流のあったウジューヌ・アジェ、アンドレ・ケルテス、マン・レイなどの写真家の作品に大きな影響を受けており、アンセル・アダムス、木村伊兵衛、土門拳など当代きっての写真家との交流もあった。こうした写真家達は彼に何をインスパイアーしたのであろうか? 絵画と写真。異なる表現手段であるようであるが、お互いに共鳴し合う何かがあったに違いない。天才が共有するインスピレーションと言っても良いのかもしれない。一方、彼の独特の風貌、スタイル(おかっぱ頭、丸メガネ、ちょび髭、ピアスなど)を自己表現に活用しアーティストとしての自己プロデュースを積極的に行なった。彼を被写体とした写真家が多くいたのも事実で、彼は当時のいわばファッションアイコンとしても名声を博した。Fujitaは写真の持つ威力を十分に理解、評価していた。そして旅に出るときはいつもカメラを手に世界中の人物や風景を撮った。今回の展示では彼が旅行中に撮影した写真から構図や人物表現を絵画作品に反映させた例を対比展示していてとても興味深い。このように彼は写真を身近な記録、取材手段として活用しただけでなく、重要な表現手段としていつもカメラを手に携えていた様子が窺える。彼が残した膨大な数の写真はなにをもの語るのか?その分析と評価、研究はまだ緒についたばかりだという。この企画展示が、新たなFujita像探訪のスタートになるのであろう。我々鑑賞者もその探訪に参加してみてはどうだろうか。まさに写真という視点で見つめ直す藤田嗣治の世界。久々にワクワクする企画展である。
「藤田嗣治 絵画と写真」展@東京ステーションギャラリーで開催中。8月31日まで。
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