![]() |
ベッセント財務長官と赤沢大臣(ブルムバーグ) |
国際的な交渉は難しい。難しいと言って仕舞えばそれまでで、それをやり切るのが国を背負う政治家であり、エリートなのだから「難しい」なんて言わせない。しかし「難しい」のだ。当事者でないものが外から見てると何やってんだと思うことも多い。交渉の駆け引きや全体像がわかっているわけではないし、交渉の逐一が情報共有されるわけでもないので、ついついマスメディアはじめ、根拠不明のSNSインフルエンサーなど「外野が騒がしい」ことになりがちだ。また、こうした交渉の常でその結果についても100%双方がウィンウィンなどと言うことはなく、かならずどこか不満が残り、双方持ち帰ると、交渉に負けたんじゃないか。その「責任論」云々が議論されがちだ。合意内容が「玉虫色」で実行過程で食い違いや思惑違いが出ることもままある。歴史を振り返ってもよくわかる。日露戦争の終戦交渉、ポーツマス条約などがその典型的な例だろう。勝ったのに賠償金が取れないと、国内では暴動となり日比谷焼打事件などが起きた。満州おける日本との鉄道事業参画を目指すアメリカの鉄道業者代表が東京で暴徒により危険に晒されたりした。言論統制下の国民は、勇ましい勝利のニュースしか聞かされておらず、戦争の悲惨な実態や日本がこの戦争で国家存亡の危機に瀕していることなぞ知らない。そもそも薄氷を踏む勝利で、金を使い果たしギリギリの停戦交渉であったことは後で分かった。勝ったという高揚感。一等国になったという欧米列強に対する劣等感の裏返しとしての優越感。そしてアジア同胞へ向けられた優越感。そればかりが国中を覆い尽くし、現実を謙虚に受け止めることができなかった。その感情論が40年後の国家破綻の前哨戦となるなどとは、その時誰も考えなかった。国際的な交渉の難しさという経験を、幕末の開国条約交渉に限らず日本は経てきたはずであった。
今回の関税交渉の詳細な内実について我々が知りうる立場にはないし、どんな駆け引きや取引があったかも詳細はわからないが、交渉をまとめることがいかに茨の道かは、私もささやかながら海外事業の経験で身に染みているつもりだ。ビジネスパート、敵対買収相手、規制当局と、一筋縄ではいかない相手との交渉でストレスの連続であった。むしろ身内との交渉に時間と労力を取られてストレスを感じることもあった。いやその説得の方が時間を要した。国家間の戦争や外交交渉とは比べ物にならないとは言え、その結果が「双方にとってウィンウィンの合意となった」と言う公式発表にも関わらず、全ての人に満足のいくものとは限らないのはM&Aディールでもおなじだ。その結果、交渉担責任者は国賊扱いされたり、会社に損害を与えたとして懲罰対象、左遷人事になったり、誹謗中傷にさらされたりもする。よくやったという評価は表に出ない。交渉には常に妥協と譲歩、コンセッションがつきものなのだ。また合意内容の実行過程で齟齬が得たり事情変更があったり、時間が経たないとその結果は見えてこない。その交渉の成否は歴史が評価することになる場合もある。
それにしても日本人は交渉が下手だ。これは感じる。自分自身の経験を振り返っても内心忸怩たる想いが残るものばかりだ。留学中も学生同士のディベートやスピーチでの良くトレーミングされた表現力、論法、相手への敬意、突破力に敬服したモノだった。それは欧米人だけではない。むしろ途上国の若者の説得力ある論旨と実に堂々たる態度に驚嘆した。そんなかれらが実社会で修羅場を潜り、経験を積み、尊敬を勝ち取り、人脈も形成して政治や外交でビジネスで本領発揮する。それに比べると日本人は真面目でおとなしく、お行儀が良いが、相手に強い印象を与えない。「顔が見えない」というやつだ。そもそも長い鎖国を経験し戦争や外交下手の歴史を歩んできた日本に、広い視野と戦略思考、そして強かな交渉人は育たなかったのだろうか。「男は黙って!」「巧言令色仁少なし」を美徳とする文化。歴史を振り返っても国家のリーダーですら、国際問題、外交、戦争に関する広い視野と知見をもって大局的に判断し、タフに交渉できる人物、そして相手からも尊敬される人物は少なかったように思う。歴史上の人物であえて挙げるならば、徳川家康か。あるいは外交官としては幕末の幕府三英傑(彼らはすごい。鎖国下のどこであれだけの外交交渉力を習得したのか?)、明治の日露戦争終戦処理の金子堅太郎や高橋是清、小村寿太郎、諜報力を象徴した明石元二郎。戦後のGHQと渡り合った白洲次郎もすごい。大局観を持てないリーダーと相手の話を聞かないリーダー、相手へのレスペクトをもてないリーダー、そして責任を負わないリーダー。そんな彼らの根拠のない楽観主義に基づく意思決定、その結果があの未曾有の敗戦だ。そして戦後はアメリカの核の傘の下で戦争や外交のコストと修羅場を避けて、ひたすらエコノミックアニマルに徹していた。その結果の高度経済成長。幸せなことと言えば幸せだが、不幸といえば不幸。外交力を失うと言うことは諜報力も失うということ。あの日露戦争で発揮した日本の諜報力、外交力は、戦後影を潜め、今や日本ほど諜報力の貧弱な先進国もない。Ninjaの国が... 安全保障という言葉は声高に議論されたが、自らの安全保障を真剣に考えたことはなかった。そうこうしているうちに経済力も失われ始めてしまった。これからは振り向いても後ろにアメリカはいない世界で生きてゆかねばならないだろう。
世の中は、「話せばわかる」相手ばかりではないことは今さら言うまでもないだろう。かと言って気に食わないからと感情論で相手を罵倒したり誹謗中傷してはまとまる話もまとまらない。喧嘩して「啖呵切ってケツまくってやった!」は浪速節の世界ではカッコいいが、そんな「匹夫の勇」は世界ではなんの結果も生まない。カオスの世界を生き残るメンタルの冷静さとタフさがいる。相手への共感力、突破力がいる。人と人との信頼関係が何より大事だ。バカは困るが頭が良いだけでもダメだ。平和ボケ、思考停止の失われた30年、気がつけば外国エージェントのボットによる認知戦のターゲット国になり、それに左右されるSNSポピュリズムに政治も席巻される時代だ。交渉も一筋縄ではゆかない。日本は大丈夫なのか?大丈夫じゃないね。国家、企業、あらゆる組織のリーダーの資質に赤信号が点っている。与党も、野党もどの面を見てもトランプや習近平、プーチン、とやり合って勝てる面構えじゃない。「永田町」という政局の論理でしか考えられない。優秀だと評判だった官僚もいまや単なる「官僚的サラリーマン」だ。企業戦士も24時間戦えなくなっている。しかしそんなことボヤいている場合ではない。日本はこの敗戦以来の80年目の危機に直面している。否応なしに外交力、交渉力が鍛えられることになるだろう。ただその経験値を積むまでは死屍累々だろう。そして外交の基礎は諜報力、発信力だ。これも一朝一夕ではできない。世界を俯瞰できるかどうか。その手始めが今回のトランプ関税交渉だ。第三の開国だ。
おまけ1
私の極めて限られた経験をもとに交渉相手の感想(あの時の彼らの顔を思い浮かべつつ)を述べると、アメリカ人は、一般にタフな交渉スタイルで有名だが、理屈よりも情だ。意外に人間関係がモノを言う。交渉担当がほぼ全権を持って決めるが、交渉担当者の能力は個人差がまちまちで。理性的な人物に当たれば話は早いが、時には訳の分からんこと言って(きょうは気分がのらんとか、妻の誕生日なので帰るとか)翻弄されるような人物も。イギリス人は、驚くほど諜報能力が高く、よく相手を研究している。さすが大英帝国の伝統。ファクト、エヴィデンスベースで攻めてくる。一番タフな交渉相手だ。アメリカ人のようにフレンドリーさは見せないが、信頼できるとなれば本音を見せる。捻りのあるジョークや嫌味に絡め取られないようにしなくてはならない。中国人は常に法令集を傍に置き参照しながら交渉し、最後はトップに伺わなければ決まらない。今までの交渉はなんだったんだと言うこともある。その場で決まることはほぼない。結果が出ない。ガードが硬く官僚的で交渉担当に権限はない。終わった後のエンドレスのカンペイは勘弁してくれ〜。日本に近い?
まあ、こうした各国のカウンターパートの違いをカリカチャライズすることは、話としては面白いが、あくまでも個人の経験に基づく感想なので、誤解と偏見をもたらすことにならぬようこの辺でやめておく。要は交渉とは多様なバックグラウンドをもった相手(人、組織、制度、文化)との総合格闘技のようなものだ。それを受け入れる懐の深さと、多くの引き出しいっぱいの話題が必要だ。最後は相手を説得する突破力が不可欠。しかし長い交渉の中で信頼関係を築き、お互いレスペクトし合える関係を持てることは楽しいことでもある。そうでなければ結局交渉ごとはうまくいかない。「敵ながらあっぱれ」。あの交渉を共に戦った仲間、という連帯感すら感じる。そういう友人達とは今もつながっている。
しかし、今回のような一方的な恫喝、無理筋をディール成功のための有効手段だと思っている人物との交渉はタフだろう。気まぐれで、感情的で、へつらう人大好きな親分相手じゃ、いくら取り巻きや側近をエビデンスベースで説得し理屈で納得させても、最後は親分への効果的な「情」に訴える一撃がなければだめだ。すなわち「俺が勝った!」と思わせる舞台設定。そのために3ヶ月で8回もワシントンに参りをしたと言う「忠誠心」の証(その気が無くても)も大事かもしれない。若い頃、会社の拠ない仕事で、とある筋の親分のところに売掛金の回収交渉に行ったことがある。法的な措置と言っても、そんなことわかって恫喝で踏み倒しているのだから、正論の通じる相手ではない。何度も通い、今回のベッセント財務長官のような合理的思考の持ち主である組織の経理担当者が当方の立場を理解してくれて、親分との面談を仲介してくれた。その結果、親分は「お前の何回も来たしあいつの顔を立てて払ってやる」で決着した。メンツが全てのロジックに優先される世界だった。理屈や合理性ではなく信頼関係とも無縁なディールもある。そんなことをふと思い出した。
おまけ2
交渉の場で日本人がよく聞かされるアメリカ人のおべんちゃらジョーク。我々が下手くそな英語で話すことを自嘲気味に詫びると、決まって彼らが返す定番ジョーク。
You know
The person who speaks two languages, Bilingual!
The person who speaks three languages, Trilingual!
The person who speaks only one language, American!
あるいは、
I am not able to speak Japanese as you speak English well.
You speak perfect English! Where did you learn?
これをトランプが英語が公用語の国の大統領にベンチャラして失笑されたのは記憶に新しい。
おまけ3
トランプのやり方は極めて乱暴かつ国際的な品位に欠くが、アメリカの関税率引き上げは共和党支持者の70%以上が支持している。なぜか?
中国の国家資本主義によるアメリカ市場簒奪。中国の外需頼みの経済成長への反発。これは日本やドイツについても同じ。アメリカの国際収支の赤字は世界でも突出しており、これがアメリカが「搾取されてきた」というトランプ流のレトリックにつながる。
アメリカの国内産業空洞化、金融、ITなどの知的産業部門の伸長は、労働力、雇傭の移動を促さず、貧富の格差が拡大。反知性主義、ポピュリズムへ。労働市場政策の失敗。
GATTで一定の成果を挙げた自由貿易体制だが、WTOの自由貿易体制は中国や日本、ドイツに大きな利益をもたらしたがアメリカは大きな赤字を抱えることになった。中国はアメリカだのみの経済成長で内需拡大が進んでいない。日本やドイツも同じ(80年台の日米貿易不均衡問題と同じ)という認識。この貿易不均衡問題はなかなか解消されていないと言うのがアメリカの主張。トランプで爆発しこれを支持する国民が根強くある。
だからといって二国間協定による一方的高関税圧力が、世界の貿易促進につながることはない。関税率20%を超える国は(一部の最貧国を除いて)ほぼない。新しい多国間貿易の仕組みを考える必要。中国の国内需要の拡大も課題。