不干斎ハビアン「破提宇子」(はでうす) 東洋文庫ミュージアム「キリスト教交流史」展示 |
彼はキリシタン布教と護教のために『妙貞問答』を著し、仏教、儒教、神道を痛烈に批判する。しかし一転、棄教後の晩年には『破提宇子』を著し、キリシタンを徹底して批判する。「神も仏も捨てた宗教者。世界に先駆けて東西の宗教を相対化して解体してみせた人物」(釈徹宗)などと評されるが、しかしてその実像は?彼の著作は何を語っているのか?
『妙貞問答』の論点
仏教批判、儒教批判、神道批判を展開しキリシタン信仰の正当性を論じた書である。妙秀と幽貞という二人の尼僧が問答する形態(幽貞がキリシタンで、仏教徒の妙秀の問いに答える)で論議が進められ、上巻で仏教を批判し、中巻で儒教/道教と神道を批判、下巻でキリシタン教理の正しさを説く。イエズス会からは重要な布教書として取り上げられ、ハビアンは日本における布教のイデオローグとして重視された。ハビアン自身も執筆に参画したと言われるヴァリニャーノの教義書「日本のカテキズモ」、また翻訳に参加したのではと想定される教義書の原典「どちりな・きりしたん」がベースになっていると考えられている(海老沢有道説)。本書『妙貞問答』に関して林羅山とも論争し、羅山から「この書を焼き捨てよ」と言われた。その論点を要約すると、
仏教:あらゆる存在や現象には実体がない。すなわち全ては「無」・「空」に帰する。ゆえに仏教に「来世の救済」はない。「来世」「極楽浄土」はなく、あるのは現世のみ。現世において悟りを得て輪廻の迷いから離脱することだ。全ての存在は人間の心が生み出したものである。仏も人間も本質は同じである。釈迦も阿弥陀仏も人間であって神ではない。従って仏教は絶対創造主の存在を語っていない。
問答の中で、「仏教には、現世で功徳を積む、あるいはただ一心に「南無阿弥陀仏」と唱えることで極楽浄土へ行ける、阿弥陀仏がお迎えに来てくれる、という「来世の救済」があるではないか」と、浄土宗の信徒である妙秀に反論させている。しかし幽貞は「それは誤りで、行き着くところは「無」であり、来世はない」と断ずる(釈徹宗は、ハビアンの仏教観は天台、真言、そして禅宗に偏っていて、浄土宗や浄土真宗を端折りすぎているようだとコメント)(仏教の極楽浄土について、阿弥陀如来、勢至菩薩、観音菩薩 当麻曼荼羅(イメージの力)「往生要集」源信 法然「南無阿弥陀仏」(言葉の力)菩薩面(お練り供養)
儒教:神を語らず現世の倫理、人の道を語るだけで来世の救済はない。「太極と陰陽」の考えは、万物は人の心の動きに他ならず、人間の心が生み出したものであるとする。この点で仏教と変わらない。これは道教も同じ(三教一致)である。しかし創造主の存在を語らないで天地の成り立ちの説明はつかないとする。一方で朱子学の説く「事と理と性と気」による徳の考えはキリシタンと通じると評価。
神道:天地創造を説いていない。すなわち天地はすでにあってそこから神が生まれ出てきた。人間の夫婦の性行為をアナロジーにした創世神話。この神々は人間の欲望の姿をしている。天照は太陽/日輪の素朴な自然信仰であり神ではない。したがって教えもなく来世の救済もない。 アジア/アフリカの未開の神々の物語と同様、「あり得なく汚らわしく滑稽である」。(キリスト教布教集団が伝統的に持つ根強い未開神話観の影響を受けている)。また、日本独自と言っているが日本書紀に描かれる神話ストーリーも儒教の影響を受けているとする。
キリシタン:日本の宗教には「絶対」という観念が存在せず全てが相対的である。「来世」「救済」について一神教のようなすっきりとした説明がない。しかも 仏教、儒教、神道「三教一致」と言っており、どれも創造主の存在を語っていない。したがって真の救いは、唯一絶対神、天地の創造主デウスのもとにあるキリシタンの教えにしかないと結論付ける。
『破提宇子』の論点
一方で、一転して晩年にキリシタン批判書として書かれ、イエズス会からは「地獄のペスト」として忌み嫌われたのが本書である。キリシタン禁教政策を進めた長崎奉行長谷川権六に協力、彼の勧めで著したとされる。日本の宗教の実情とキリシタンの実情を理解するハビアンだからこそ書けるとして、彼は布教から一転して禁教の理論的支柱となった。その論点を要約すると、
キリシタン批判のベースにあるのは「絶対」という傲慢への反感、いわば絶対の相対化である。 天地創造神話はキリシタンに特有のものではない。どの宗教でも語られている。
デウスを唯一絶対神と言いながら「三位一体(父:デウスと子:キリストと精霊)」でなければ救済を語れないではないか。(これはキリスト教に内包する矛盾であると言われている。「三位一体」を日本の布教では強調しなかったのは、その矛盾を避けるためであるとされる)
キリシタンにおいても神は人間の投影である。イエス・キリストも人間夫婦から生まれ、聖ヨハネ、聖パウロなど聖人も全て人間であり神ではない(これはイスラム教徒からも預言者キリストを神として扱っていると批判されている)。
キリシタンは仏教の「無」について正しく理解していない。仏の「無知無徳」こそが真実である。デウスの「諸善万徳」には、憎しみと愛の選択という人間の性が常に伴う。すなわちデウスは人間が作り出した神である。(19世紀の思想家フォィエルバッハは「神は人間の投影である」と「キリスト教の本質」1841年で論じたが、ハビアンはその220年前にすでに同じ結論に至っている)
「人間は他の生物とは起源を異にする別の生命体である」「人間は神が自分の姿に似せて造った」というキリスト教の人間観、生命観を批判し、「万物は事(現象)と理(本体)によって成立している」。それ以外の言説は人を惑わすだけであるとする。(仏教と朱子学、日本古来のアニミズムを習合した考えに立った人間観を提示している)
また、聖書の、人類の起源に関するストーリの矛盾を指摘し疑念を提示した。すなわち、なぜ人間はリンゴ(アマボシ)を食べただけで罪(原罪)を負わされ極楽を追われたのか。なぜ創造主デウスは自分が生み出したアダムとイヴを救済しなかったのか。しかも二人を騙したのは堕天使/悪魔ルシファー。その悪魔はデウスが生み出した。(書いてあることは論理矛盾だ)
全知全能の神デウスの救済は、天地開闢以来5000年、キリストの出現、復活から1600年と、6600年も経っているのに、なぜいまだに人間に届いていないのか。
最後に、唯一絶対神という思想は、君子や家父長の言うことを聞かないということで、日本の社会秩序を乱し、キリシタンは異教徒の国を滅ぼし征服するための宗教である(この辺りの言説は、この書を書かせた長谷川権六による示唆の影響か?)
ハビアンは変節の棄教者なのか
本人が自覚していたか否かは別として、彼の宗教観は、宗教者の「信仰」によるそれではなく、「理性」による合理的理解によるものであると感じる。そういう観点から、この二冊の著作に表された各宗教批判は、世界で初めて著された「東西宗教の比較宗教論」である。
ハビアンは元々禅宗(臨済宗)の修行僧であり、瞑想、公案のトレーニングを受けてディベートと比較手法を身につけ、すべてを相対化する指向性を身につけていた。一方でキリスト教の絶対なる中軸を学び、同時にキリシタン布教と共に入ってきた西洋文明の最新の科学的知見(大航海時代的な世界観)、合理的思考を学んだことから、仏教、儒教、神道を俯瞰し、批判的に分析する「外部の視点」を獲得することが出来た。この「外部の視点」の獲得は重要で、彼の思考の基層にあるものである。しかし、皮肉なことにその視点、合理的思考法は、今度はキリスト教に向けられることになり、その教義が批判的に分析され解釈されることとなる。『妙貞問答』で用いたロジックを『破提宇子』で写し鏡のように用いている。その過程でキリシタン教義の矛盾や誤りに気付き、そうした、いわば比較宗教学的アプローチが、先に批判した仏教教義の新たな側面の発見と理解につながる。結局、彼は宗教の本質に気づき、また絶対を相対化して分析、比較評価することにより「宗教とは何か」を論じたのである。彼は、そういう意味で世界でも最初の近代合理主義思想家であったのではないか。今から400年前、ヨーロッパにおける啓蒙主義時代の始まりより100年以上前に出現した「早すぎる近代合理主義者」であったと言えるかも知れない。あるいは、プロテスタントの「合理的視点」からのカトリック批判に通じる、一種のルターやカルバンのような宗教改革者の視点を持っていたとも言えるかもしれない。ただしこの頃のキリシタン教義は聖書が布教書になっていなかったし、プロテスタントの教義への理解(カトリックとの違い)もなかったであろうから、彼がプロテスタントの視点を持っていたとは思えないが。
宗教とは、世俗世界の外側を提示することによって「世俗を相対化」するものである。創造神、来世、前世、彼岸、霊界などの観念はその典型である。世俗世界と異なる価値体系を持つからこそ人は宗教に救済を求める。生と死の意味づけがなされる。来世をどのようなものと語るかは宗教の生命線である。したがってハビアンは来世をよく語らない宗教は宗教ではないし、救済がなければ信仰の対象とならないと考えた。とても論理的で、ある意味で合理的な宗教観である。この時代、仏教僧からキリシタンに改宗したり、またキリシタンを棄教するものも多く出た。その全員がこのような宗教の持つ世俗観、来世観への共感、あるいは反発により信仰したりそれを捨てたのかどうかはわからない。知識欲、交易動機であったり、一方で食い詰めてキリシタンになったり、権力者に強いられて入信したり棄教したり、宗教遍歴の動機はさまざまであったろう。ハビアンの場合も棄教の動機はいまだによくわからない。まだキリシタン禁教令が厳しくなる前であるので権力による棄教圧力はなかったであろう。修道女との出奔が原因であったとする説もあるが、飛びつきたくなるゴシップ話であるが、その後のハビアンのイエズス会への手紙(質問状)で、そのような事情は語られず、教義に関して深刻な疑問を感じたことが述べられており、それが棄教の原因だと思われる。また日本で布教活動に携わるパードレやイルマンへの疑心や、日本人信者に対する彼らの見方への不満があった節もある。ハビアン自身イエズス会で布教活動に重要な役割を果たしたにもかかわらず、パードレにはなれなかった。棄教後も洗礼名ハビアンを名乗り「破提宇子」を執筆しているので、イエズス会を脱会したが棄教はしていない、とする解釈もあるがこれはありえない。どのような事情があったとしても、少なくとも彼の二つの著作から読み取る限りは、彼の宗教に対する合理的理解(来世と救済の説明の合理性)から生まれた根源的な懐疑が、彼の棄教に大きな影響を与えたのだろう。信仰でなく合理的理解。この点で遠藤周作の「沈黙」で描かれたフェレイラ神父と彼を慕って日本にやってきたロドリゴの「信仰と棄教」という究極の葛藤とは異なる。遠藤周作のハビアン評価が低いのはそのせいか。
彼の「宗教に対する合理的理解」は、神話や聖書のストーリーの矛盾、非合理性を指摘する分析、評価手法、論旨に端的に現れる。理路整然としていて分かりやすい。今でもカルト的な宗教や霊能者の予言とやらを論破するときによく用いられるロジックである。これは信仰によるものではなく理性によるものである。先述の聖書におけるストーリーの論理矛盾の指摘などがそうである。あるいは日本書紀に描かれる神代のエピソードなども論理矛盾が多い。しかし信仰とはそのような矛盾なき論理的帰結によるものではない。非合理的なもの、超自然的なものこそ信じるのである。でなければ「奇跡」が信仰への導きになることはないだろう。彼は結局、信仰を持った宗教者というより、近代的科学としての比較宗教学の視点を習得した宗教者であった。いや最後には宗教者であることを捨てたのかもしれない。本人はそのような自覚はなかったかも知れないが、現代人の目にはそのように見える。また日本の宗教は、さまざまな外来宗教、思想を受容し、あらゆる信仰を相対化して取り入れ、咀嚼する(変容と言って良いか)「習合型」多神教の性格が強い。唯一絶対神の一神教のような宗教とは異なる。かつて「日本教」を唱えた山本七平は、ハビアンにその日本型多神教の祖型を見たと言っている。これに対し、釈徹宗は、ハビアンには日本の宗教の祖霊信仰という側面が欠けている。山本七平の「日本教」も同様であると批判している。ここまで見てきてなお謎多き人物であるが、それでも日本の思想史に画期を成した稀有な知性を持った知識人であったと言えるのではないか。少なくとも、キリシタン布教に大きな貢献をした日本人イルマンにして、晩節にキリシタン禁教側に回った変節の棄教者、などとして片付けるのは正しい評価ではない。
キリシタンの日本布教にあたって用いられた教義書や教養書については、2023年11月5日 キリシタン版「コンテムツス・ムンヂ」を参照願いたい。「カテキズモ」にも「どちりな・きりしたん」にも、今思えばそこにハビアンの姿が見え隠れする。彼の日本におけるイエズス会の布教活動への貢献は非常に大きかった。それだけに彼の棄教は衝撃的であった。それは単にキリシタン布教活動にとってだけではなく、神とは何か、宗教とは何かの問題を突きつけたという意味においても衝撃的であった。
注:「デウス」はラテン語のDeusを語源とし、父性を持った唯一絶対神を表す。キリシタン布教時にはその唯一絶対神を日本語の「神」と訳さずに「デウス」と訳した。布教当初には、日本人に理解しやすくするために、仏教的唯一絶対神の名を借り、大日如来の「大日」と訳した。ゆえに仏教僧侶や庶民からはキリシタンは仏教の一派だと誤解された。これはザビエルに付き従った日本人イルマンのヤジロウの間違った仏教理解(大日如来は唯一絶対神ではない)に基づく訳語で、のちに訂正された。
参考書:
釈撤宗「不干斎ハビアン 神も仏も棄てた宗教者」
遠藤周作「日本の沼の中で 殉教と棄教の歴史」「沈黙」
山本七平「日本人とは何か」「日本教徒」
東洋文庫ミュージアム展示 1868年(明治元年)刊行の復刻版である まだキリスト教への警戒心があった時期の復刻である |
東洋文庫ミュージアム展示 1592年刊行「どちりな・きりしたん」天草版 |
1600年刊行「どちりな・きりしたん」長崎本 ハビアンの著作の底本と考えられる |